2016年09月30日

シン・ゴジラ

 シン・ゴジラを観にいった。初代ゴジラを観て育ったおやじ世代にはたまらなくツボにはまる大人のためのゴジラ。子供のために作られているという印象はまったく受けない。観客も自分と同じおやじ連中がほとんどだった。
 福島第一原発事故のときのちょっとまぬけな政府の風刺になっていて、それがこの映画のおもしろいところだと思うのだけど、海外ではえらく不人気らしい。311と福一の惨事を知ってる日本人でないとよくわからないのかもしれない。
 ところで社会風刺映画といえるような作品を長く見てなかったように思う。ここしばらく作られていなかったのではないかな。伊丹十三の映画は風刺が効いていて面白かった。マルサの女とか。ミンボーの女とか。伊丹十三が短命だったのが惜しまれる。
 最近は全世界でヒットする作品を作ろうとする傾向があるように思うんだけど、そういう映画は最大公約的に広く共感されやすい無難な線を突いたおはなしになりがち。子供向けなら男女の体が入れ替わったとか、使い古されたネタを焼き直ししてりゃいいとしても(はじめて見ればそういう話も面白いよもちろん)、そういうのを何度も見せられてきたおやじやばばあには退屈だったりする。
 シンゴジは怪獣映画だけど、今までのそれとはかなり趣が違って、日本社会への怒りを表明するかのような毒気を含んだ作品で実におもしろかった。

投稿者: 大澤義孝  | 日記

2016年08月28日

寒卵酒ふたたび

 今年の1月の終わりに寒卵酒を仕込んだ。前回は少量生産だったが今回は標準量で。このとき鈴卵というちょっと上等な卵を使った。普通の卵より色が濃く、仕込んだ寒卵酒は濃いオレンジ色をしていた。気温が低いときは分離していたが、4月になると分離は消えて均質になりクリーム色に変化した。味見をするとまだアルコールのカドが取れていない。6月に味見したときは、前よりはカドがとれたがまだもう少し。たまごの生臭さも少しある。昨日味見するとカドも取れ生臭さも感じなかった。寒卵酒の熟成には6ヶ月ではまだ少し足りず8ヶ月目からが飲み頃らしい。
 高級卵で造った寒卵酒はおいしくなるのかどうかは分からなかった。普通の卵でつくったものと比べでもしないかぎりわからないだろう。普通の卵で造った寒卵酒はとっくに飲んでしまって残ってない。普通のたまごでつくったので充分ではないかな。できるだけ新しいたまごをでつくることが重要かもしれない。
 この日、今年仕込んだ梅酒の味見もしたのだが、寒卵酒というのはうまみを味わう酒だと思った。梅酒はもちろん酸味と香りを楽しむ酒。寒卵酒にはたまごのうまみと卵油のまったりした味わいがある。バニラアイスにかけてたべるのもおいしい。
 果実酒はみんな甘酸っぱい味と相場は決まっているし、梅酒があれば他の果実酒はつくらなくてもいいと思えるんだけど、寒卵酒は果実酒とはまったく別方向なので造る気になれる。
投稿者: 大澤義孝  | 健康酒

2016年08月27日

太陽の墓場

太陽の墓場という映画を見た。大島渚が監督で1960年に公開。
私が生まれる四年前の映画。ぜんぜん面白くない映画で、こんなクソつまんないのを映画館に観に行く人がいたということに驚いてしまうのだけど、カラーフィルムで大阪の通天閣周辺の町並みが映っていて記録映画としての価値がある。1950年代後半の大阪新世界周辺。どんな町並みかっていうと、汚い掘っ立て小屋が建ち並ぶスラム街。
 会話の中に、ガキのころに聞き覚えのある汚い言葉使いがたくさん出てくるのに気づく。ああ、こういう表現ってあったなあと思い出す。いつのまにか使われなくなって、今は大阪にいても聞くことはない。関西弁のイントネーションも昔はこの映画のそれだったと分かる。今テレビから流れてくる関西弁は、ずいぶん洗練されて上品になってる。昔の関西弁はもっともっと泥臭かった。
 劇中では戦争の後遺症なのか、あるいはアル中で脳がやられたのか、極端な無教養ゆえなのか、頭が少しおかしい人も多数出てくる。ガキのころ吉本新喜劇で坂田利夫とか間寛平とか、馬鹿アホを演じて笑いを取るというのが大うけしてたんだけど、今から思うと、街中に普通にいた頭おかしい人がモデルだったのかもしれない。でもあまり差別されることなく、みんなごちゃまぜに暮らしていたような気がする。
 それから俳優たちの演技がみんなセリフ棒読み。この映画に限らずこの時代の演技はみんなこんな感じ。だけど当時はそんなものと思っていて違和感を感じたりはしてなかった。今の演技と比べると、ぜんぜん感情が乗っていない。あるいは昔の野郎どもは感情表現に乏しかったのか。
 たかが半世紀ほど遡っただけで、こんなにも雰囲気がかわることに驚いた。今の日本とはまったく別世界に思えてしまう。なにがちがうのっていうと、やっぱり昔の作品には戦争の傷を引きずってる感じがただよってる。
昔のウルトラマンとか子供向け作品にもそれはある。今の作品には戦争の傷がまったくない。戦争映画にすら残ってないもんね。傷が癒えたのはいいことだよ。半世紀前に比べたら今の日本はユートピアになったんだなと思ってしまう。そうやって完全に傷を忘れたときが暗転のサインかもしれないけどさ。
投稿者: 大澤義孝  | アニメや映画

2016年07月31日

集中力を高める薬

 長いこと更新さぼってる。ここんとこずっと執筆と読書。まだしばらくは引きこもりモードだろうな。
 今日はDMAEというサプリをためした。ジエチルアミノエタノールという成分で、イワシにたくさん含まれているという。脳に効くらしい。
 DMAEを飲んでから読書してみた。本が退屈だったり難解な内容だったりすると、活字を目で追いかけつつも心はへら事を考えてるなんてことが多々起きる。ちょうど今読んでる本がそういうものだったのだけどDMAEを飲むと、そういうことがほとんど無くなる。つまり集中力が高まるようす。
 しかしレビューを見ると、効かない、よくわからないという人もいるし、胃腸に負担をかけるという人もいる。自分には効いたように感じたし、こうして2ヶ月くらい放置してたブログを更新する気になったのも、DMAEのおかげかもしれないと思うけど、あとからデメリットに気づくなんてこともあるかもしれない。DMAEは分類上は薬ではないけど、効き目があるものには必ず副作用もついてくるものだ。まあでもしばらく続けてみようと思う。
投稿者: 大澤義孝  | 健康法

2016年05月05日

よく切れる包丁はいい!

 その昔、相鉄線のミニコミ誌で沿線上にある鍛冶屋が紹介されていて、「うちの包丁はハンマーで叩いて鍛えて作っているからよく切れる」という。普通、刃物といえばそうやって作るものと思っていたけど、大量生産の包丁はそうではないらしい。よく切れる包丁を探していたので、ものはためしと牛刀を一本購入。日本刀に使われる安来鋼(ヤスキハガネ)・白紙を使った包丁。一度研げば永く切れ味が持続し、カミソリのようにくいつきがよく、絹糸のようなキャベツの千切りが易々と刻める。
 残念ながらその鍛冶屋はその後一年もたたないうちに歳を理由に閉店してしまった。最近ネットで検索すると、そこの包丁はプレミアがついて高値で取引されていてびっくりした。閉店セールのときもう二三本買っておけばよかったと思う。
 だけど最近、今ひとつ切れ味が悪くなっていて刃物専門店に持ち込んだ。下手くそな研ぎ方によって長年のうちに刃の形がかわってしまっていたのが原因。専門家に研ぎ直してもらったら、また元通り昔の切れ味が復活した。包丁くらい自分で研げると思っていたけど、いやいやぜんぜん勉強不足だった。「何でも知ってるつもりでも世の中には知らないことがたくさんあるだよ」なんておでん君の言葉が頭をよぎる。

 前々から気になっていたステンレスの包丁もその店で見せてもらった。ステンレス包丁は錆びないのが大きな利点だけど、あまり切れない、研ぐのも難しいというのがすこし前までの定説。しかし今は事情が変わってきていて、V金10号という刃物用ステンレス鋼材を使った包丁が料理人の間で人気が出てきているらしい。錆びず永切れし研げる。
 店のおやじが「ちょうど入荷したばかりだけど……」、といって箱を取り出し封を切ると、中には小箱が十個ほどはいっていて中身はV金10号のペティナイフ。大根を切らせてもらったら、さっきの研ぎ立ての白紙の包丁よりまだ少し上いくくらいの切れ味。店主は「この鍛冶職人はうまい(腕がいい)から」とか、「すぐ売り切れてしまうから」とか、「予約待ちになってましてね」とか、口がうまくて、気がつくと買っていた。それくらいいい包丁に思えた。(ちょっとカモにされたような気もする)。
 しかし研ぎ立ての刃物はたいがいよく切れるもので、上等な刃物はその切れ味が永く続く。安物はすぐに切れなくなる。しかし外見をいくら見ても区別する方法はない。しばらく使ってみるとか、自分で研いでみるとかして、やっと素性が見えてくる。包丁って同じ大きさと形のものが、百円で売られていたり、千円や五千円や一万円や五万円だったりする。百円や千円の品はともかく、はじめはどれも皆よく切れる。そう考えるとけっこう怪しい商売だな。
 切れ味だけを見て、はじめて入った店でたいした下調べもせず買っちゃったのは隙があったと反省するのだけど、今のところは怖いくらいよく切れる。「白紙よりは落ちる」と店主は言ってたけど白紙と同等かそれ以上だ。もうしばらく使い続けてみないと値段なりの価値があったのかどうかも判定できそうにない。
 まあ、よく切れる包丁っていいよ。使っていてきもちがいい。ケガもしにくい。飯もうまくなる。
投稿者: 大澤義孝  | 日記

2016年04月27日

よもぎ摘み

よもぎ.jpg
 都会の中にもヨモギはあちこちに生えている。春の新芽を摘み取って、湯がいてすり潰して草餅やヨモギ白玉やヨモギあんパンを作るととてもおいしい。
 和菓子屋さんに行けば、草餅や草大福は普通に売られているけれど、自分で摘んだヨモギで作ったものとは、香りがかなり違うのね。お店の草大福は乾燥ヨモギ粉末を使っていて、ヨモギの香りはするけれど、生のヨモギがもつ一部の香り成分が消えている。
 子供のころ父親と山に入って、ワラビやタラの芽をとった。だれもが通る道では、ほとんど取り尽くされていて、よいものはゲットできない。普通のコースから外れて裏道・けもの道を探すのが常識。時期も大切で、適切な時期に採取しないといけない。今から思うと、私のニッチ狙いのくせはこういう体験から作られていたらしい。
 「人の行く裏に道あり花の山 いずれを行くも散らぬ間に行け」
 誰でも採取できる場所にあるヨモギは量が少ない。先客が摘んだ後だったりする。場所によっては犬がおしっこひっかけてそうなやつもあるから要注意だ。人通りがほとんどない場所や、人が入れない場所や、入れるのに入れないと思いこんでしまう場所に上質なものがたくさんある。そういう場所をみつけ、そこにある獲物をゲットするには、ほんの少しの知恵と努力と勇気が必用だ。
 こういうことに興味を持たない人にとってはヨモギは名も知らぬただの雑草だし、その新芽を集めている人がいることにすら気づかないだろうけど、いやいやちゃんと味を知っていて、季節になると集めている人もいるのだ。自分で探してみれば、先人の痕跡が残っていることに気づく。
 都会でワラビを採ることは無理だけど、ヨモギなら日当たりのよい場所を探せば必ずみつけられるだろう。食べられる植物を自然界の中から見つけ採取し調理して食べるという一連の行為は、自然界と自分がつながっていることを実感させてくれる。都会に住んでいても、山奥にキャンプにでかけなくても、自分が母なる自然界とつながっていることを本能が感じ取る。すると心が癒やされる。それがヨモギ摘みのよいところ。
 しかし一食分の草餅を作るヨモギを集めるのだってけっこう大変だ。ヨモギはたくさんはえているが、食用に適しているのは先端の新芽だけだから、思っているほど量はとれない。ヨモギの自生してる場所をさがして町中あちこちネコ歩きする。
 新芽を摘んでも何日かすればまた新芽が伸びてくるから、そのときはまた採取できる。だからして根こそぎ引っこ抜くような乱暴なことをしてはいけない。自然に感謝して少なめにいただくようにする。
 摘んできたヨモギは水でよく洗って熱湯で2分ほど茹で流水にさらす。かるく水気をしぼりみじん切りにする。新芽でもヨモギの繊維は丈夫で固く、すり鉢では切れないのでみじん切りにする工程は重要だ。次にすり鉢ですってペースト状にする。
 一番簡単なレシピはヨモギ白玉だろう。白玉粉とヨモギ・ペーストと水を加えて団子にまるめて茹でる。水面に浮いてきたら煮えた証拠。とりだして水で冷やす。砂糖ときなこで食べる。お好みであんこも添えるともっとおいしい。
 詳しい作り方はぐぐってちょ。
投稿者: 大澤義孝  | 食べもの

2016年04月07日

なにか変だ。おかしい。

 ここしばらくのテレビのニュースね、ほんとにくだらないニュースばかり。もともとくだらないとはいえ、いくらなんでもここまでひどくはなかったのではなかろうか。来るべき時がくるまでの目くらましなのだろうか。なにか隠している。報道しない自由を最大限行使しているという印象。
 たとえば巨大隕石が衝突とか大破壊が起きることが分かっているけど、打てる対策はなにもなく報道してもパニックになるだけだからスルーとか。世界経済が破綻確実になったけどこれもなすすべがないのでスルーとか。なにかやばい計画の準備がハイスピードで進行中でそれが完了するまでの暇つぶしとか。あるいは正反対に世界をゆるがす福音が訪れるとか。なにかはわかんないけど、近々大きなショックが来る予感。
投稿者: 大澤義孝  | 日記

2016年03月09日

今のOSは騒がしすぎて気が散る

 本を書かねばならん、ならんのじゃ。気ばかりあせるもののちっとも執筆が進まないというよりも、ちっとも集中が続かないのだった。いくらなんでもおかしいだろう、これまでだって書いてきたのにどうしてじゃ、なぜじゃと考えていて一つの結論に至った。
 それはOSが騒がしすぎるのだ。原稿を書こうと電源を入れる。そしたらメールが届いている。メールを読んだら、こんどはネットをブラウズしたくなり、ブラウザを起動したとたん最新ニュースがたくさん表示される。面白いので次から次から情報をむさぼるのだが、いつまでたっても執筆に手がつかない。やっと執筆をはじめても、デスクトップには色々と誘惑があって、ゲームやブラウザのアイコンなどが目についたり、裏で動いているアプリが更新準備ができたからアップデートしてくれとか、しょっちゅう要求を出してきたりする。Windowsは使いやすくなった。秀丸エディタもますます機能アップしてる。なんでもできる。でもねえ気が散りすぎるわけ。なんでもできるぶんごちゃごちゃしすぎなの。Windows10になってますますうるさくなった。
 昔のワープロ専用機が恋しいがそれはもう無い。それに実際に今使ってみたとしたら、漢字変換能力の低さと使い勝手の悪さにおどろくはずだ。過去の思い出は美化されてるに決まってる。
 ノートに手書きしてみるとけっこう集中できるので、原稿用紙への手書きもいいかもしれないと思うも、やっぱり正直言えばめんどくさすぎるのだった。
 なんかいい手はないかとググッてみると、「PCは気が散って原稿が書けない」と同じ悩みをいだいている人々は少なからずいるらしい。
 そしてその対応策として、DarkRoomというエディタが紹介されていた。フルスクリーンモードで使うと画面の余計な表示をすべて排除して執筆だけに集中できる。極めてシンプルな低機能なテキストエディタだけど、さっぱり進まなかった筆が、またちびちびと進み始めた。やっぱり道具は大事なんだなと思った。
投稿者: 大澤義孝  | コンピュータ

2016年02月21日

グーグル・クロームキャストを使ってみた

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 前々からYoutubeをレグザ(液晶テレビ)に映したいと思っていた。もともとレグザにはそういう機能が備わっていてネットに接続さえすればよいはずだったのだが、いざつないでみるとそのサービスはとうの昔に終了していた。Youtube側がレグザやその他のテレビからのアクセスを拒否したのだった。(おそらく商売上の政治的な理由からだろう)。

 じゃあどうすればいいかというと、パソコンをレグザに接続すればいいのだけど、双方の距離が離れてすぎているのが問題だった。HDMIケーブルを数メートルも引き回すのはスマートじゃないし、ワイヤレスでHDMI接続する装置もあるけど価格的に折り合わなかった。パソコンではなくテレビで、ごくたまに動画配信を観たいだけなので、あまりコストをかけたくなかったのだ。
 そんなこんなで時がたち、今回入手したのがグーグル・クロームキャストという小さな装置。これを液晶テレビのHDMI端子に取り付けると、そういうことができるようになる。
 見た目はスマートだけど、ACアダプタもついてくる。電源供給しなくていけないのは電気製品原始時代から変わらぬ宿命。
 それからクロームキャストを制御するために、タブレットやパソコンやスマフォが必要。たとえばパソコンでグーグル・クローム(ブラウザ)を使うとき、それをクロームキャストに転送するように指示すると、ブラウズしている画面が液晶テレビに映るという仕組み。ブラウザでYoutubeにアクセスしたらそれが映る。タブレットの場合はクロームキャストを制御するアプリをインストールすると、パソコンと同様のことができるようになる。
 Youtubeの動画は画質も音質もそんなに高品質というわけでもないから、多くは期待していなかったのだけど、画質に関してはVHSビデオ以上DVD以下という印象。けっこうきれいに映る。光回線でもないのにけっこういける。音質もテレビのスピーカーで聴くのであればなにも問題はない。液晶テレビはその形から普通の大きなまるいスピーカーを内蔵できないので、極端に細長い特殊スピーカーを使ったり、極端に小さなものを複数個並列に並べるなどをして無理をしている。これではよい音など望みようがなく、それが平常運転だから気にするなということ。
 今度は液晶テレビの音声出力をサンスイのオーディオアンプに入れて、スピーカーのスーパースワンを鳴らすとどうなるかというと、ステレオではあるけど奇妙に不自然かつ平面的な音だ。劣化音源ってこういう音なんだなあと、珍しい音を鑑賞するような気分で聴いた。しばらく聴いているとうるさく感じる音だ。
 劣化音源というのは、たとえばCDやDVDに入っている音楽のデジタルデータはとても大きいので、ネットで配信されるときやダウンロード販売されるときは、離散コサイン変換という技術でデータを圧縮している。それは不可逆圧縮で、元データの多くを上手に捨てることで、データサイズを小さくする。捨てたデータがあるので再生したとき、元通りの波形には戻らない。元の波形によく似た波形が再生されるだけだ。元の音源より劣化しているといえる。
 Youtubeの音楽をしばらく聴いたあと、CDプレイヤーの音を聴くと、こっちは目が覚めるように普通のよい音がする。
 しかし劣化音源がダメってわけでもない。パソコンの小さなスピーカで、小音量で聴いている限り、ぜんぜん気にならないからだ。ヘッドフォンでもそんなもの。人間というのは四六時中最高品質を求めているわけではないんだな。どうでもいいときは、ほんとどうでもいい。
 大型のオーディオ機器で再生するのは、音波を大きなレンズで拡大するようなものだ。上等な機器は正確に忠実に拡大する。
 きれいな小さな絵を、大きく拡大するとあらが目立つ。きれいな小さな絵を劣化コピーして、それをさらに拡大すると、オリジナルとはえらい変わり様だなとなる。それと同じことだな。
投稿者: 大澤義孝  | コンピュータ

2016年01月28日

楊貴美酒を破棄

 去年の7月に仕込んだ楊貴美酒。ずっと寝かせていたのだけど捨てた。においがよくないのね。チンキのようなにおいがする。一度においを嗅ぐと、そのにおいがいつまでも鼻腔の奥に残る。幻臭のようにいつまでも消えない。それから緑がかった濃い茶褐色というのもなんかきもちがわるい。というわけで味見もせずに破棄。
 どんなに効く薬だろうが、薬酒にするならおいしいことが第一条件だと悟った。
 効き目を第一義に求めるなら、煎じ薬にして鼻をつまんで飲めばいい。生薬のエキスを抽出した顆粒の薬剤もあるからカプセルに入れて飲めばいい。薬酒にするというのは、やっぱり純粋に薬効のみを求めているわけではなく、呑む楽しみを求めているんだと思う。少なくとも私の場合はそういうことだったらしい。
 まずい酒は飲む気になれない。まずい酒を飲むくらいなら、まずいジュースやまずいシロップを飲むほうがましだ。まずい想いをして酔っ払いたくないのだな。バッドトリップしたくないもんね。

 それから前に仕込んだブランデー梅酒についても少々。
 ブランデーで梅酒を作るというのは、はやいはなしインチキ梅酒なんだと悟った。普通の梅酒は長く寝かさないとまろやかにならない。しかしブランデーで梅酒を作ると、すぐにまろやかな梅酒ができる。なぜかというと市販されているブランデーは、たとえ安物でもそれなりにまろやかになるくらいには熟成されている。それに梅を漬け込むのだから、長く寝かせなくてもまろやかな口当たりに仕上がるんだな。
 アル中一歩手前の大酒飲みは梅酒をつけてもできあがるまで待ってらんないわけ。そんなバカヤロ様にもってこいなのがブランデーに梅を漬ける裏技。早くエキスが抽出できるように梅を凍結させて漬けたりすれば一週間から二週間で、それなりに飲める梅酒のできあがり。
 味は決してまずくはないんだけど、ブランデーと梅果汁で作るカクテルと見なしたほうがいい。長く寝かせて味の変化を楽しむような性質じゃない。
投稿者: 大澤義孝  | 健康酒