2012年04月28日

なにわの湯

 母の見舞いに行くときは地下鉄を使う。途中の天神橋筋六丁目の車内アナウンスで「なにわの湯」というスーパー銭湯のCMが流れる。行ってみた。
 この銭湯は斎場と葬儀場のすぐ隣にある。さらにその近くに病院もある。生まれたり死んだりする場所としての病院。死んだら葬儀場と斎場。
 これらと銭湯は一見無関係にみえるかもしれないけど、私には関連してるように見える。生まれてきたら産湯をつかう。葬式の前にはゆかんする。
 三途の川は忘却の川で娑婆の垢落としをする場所。生まれてくるときははだかだけど、お風呂もはだかで入るもの。
 お風呂というのは誕生と死にまつわる場所と比較的近しい場所なのだ。病院とやり方は違うけど癒やしの場所である。葬儀場というのも癒やしの場所。斎場もある意味、癒やしじゃなかろうか。きれいさっぱり塵芥に還元してくれるという意味で。
 あーそうか。「癒やし」ってのは苦を忘れさせてくれるってことなんだな。疲れや苦痛や嫌な記憶を忘れさせてくれるところが癒やしの場所。

 えーと、銭湯そのものの評価は、普通のスーパー銭湯。掃除は行き届いていて衛生的。天然温泉と銘打っているけど、これに過度な期待をする人はいないだろう。駅から少し離れていて、駅前にめだつ案内が出てないので、はじめてだと場所がわかりにくいかも。
投稿者: 大澤義孝  | 日記

2012年04月26日

また大阪だよ

 母の治療状況に動きがあったので再び大阪に来た。
 前回、医療ミスがあったことを書いたけど、医師たちは自分らの手にあまると判断したようで、もっと大きな病院に母を転院させる決定をした(今のところでも充分大きい病院だけど)。転院先の病院は巨大な国立総合病院で、私は今までこれほどの規模のものは見たことがない。ありとあらゆる診療科目がそろっている。どんな病気もここで治らないなら、あきらめるしかないって感じ。
 「今の病院は母に怪我をさせ苦痛を与え時間を浪費しただけで、肝心の治療はできずによそに丸投げかよ」って思ったりもしたけど、母は二つの病をかかえていて(そのうちの一つは今の病院のミスで発症したように見えてしまうのだが)、どちらの病気もフォローできる総合病院でないと安全な治療ができないというのも現実で、そっちに丸投げする判断はそれはそれで正しいとも思うのだった。意地やプライドで無理して手術を強行なんてあってはならないわけで。

 今回すぐに横浜に帰るつもりだったのだが、またしばらく帰れそうにない。
投稿者: 大澤義孝  | 日記

2012年04月12日

横浜に戻った

 母の手術は前処置でミスがあり延期になった。それが引き金になったのか、そのときさらに別の病気が発覚して、それを先に治さないと手術できないらしい。よその病院に転院してまた戻ってきたり、ちょっとややこしいことになっている。ミスのあと病院はいたれりつくせりで、母を手厚く看病してくれている。きっと医師たちは名誉にかけてかならず治してくれるだろう。

 延期された手術の日取りはまだだいぶ先なので私は横浜に帰ってきた。バスの乗客は数人ほどしかいなくて、車内はひろびろしていた。さらに道路もすいていて天候も良好。到着予定時刻より30分もはやく到着。楽しいバス旅だった。
投稿者: 大澤義孝  | 日記

2012年04月02日

神戸を観光

 神戸の異人館街をぶらぶら散歩。大阪から阪急電鉄でいくと安くて速い。横浜にも異人館はたくさんあるから、まあにたようなものだと思っていたんだけど、そのとおりだった。なにもめあたらしいものはなかった。
 飲食店街はバラエティに富んでいるが、値段は観光地料金に設定されていて、その点、横浜とまったく同じ。観光地料金の店に地元民ははいりたがらないものだと思う。私は神戸の地元民じゃないけど、境遇はにたようなもだから、サイフのひもはまったくゆるまず。
 食べ物に関しては、京都のほうが歴史もあるし、商売としてのツボをしっかり押さえているような気がする。

 うーん、神戸はわるくもないしよくもなく普通だな。横浜から神戸に旅行する意義はあんまり感じない。逆もまたしかりかも。横浜のほうがもうちょっと豪華かな。
 まあなんにせよ横浜も神戸も、人工的な観光地。都市全体を遊園地化する試みというか。強力な観光資源がないから人工的にこさえる。明るくかざりたてる。まちがっちゃいない。ほかに道はないんだから。

 神戸はまだ一部を散歩しただけにすぎないので、ほかの地区もまたいつか見てみようと思う。
投稿者: 大澤義孝  | 日記