

ロックダウンの最中に、分厚すぎたり難解すぎたりして敬遠していた本を読み切ってしまおうと決めて読書中。
手始めにグルジェフの「ベルゼバブへの孫への話」。「えっ、あんた未だに読んでなかったのか?」などという声がどこかから飛んできそうだけど、ちょっとワケあってヘソ曲げて読まずに30年くらい本棚で放置していた。
この本は空想科学小説で「おはなし」で、だからタイトルに偽りもない。だから「おはなし」として理解すべきもので、哲学書だとか技術書だとか心理学書だとか思い始めると後々めんどくさいことになる。私的にはグルジェフ神学書とか、グルジェフ聖書ともいえるけど、やっぱり「おはなし」だというのがいちばんぴったりだろう。
この本は読む前からグルジェフとウスペンスキーにまつわるたくさんの能書き情報があったり、ハードカバーの大きな分厚い二段組の本で持ち運びが不便で外出先で読んだりしにくかったり、一回読むだけでも大変なのに本の冒頭で「3回読め」と書いてあったり、わざと身構えてしまうようにできているのだけど、ただの「おはなし」だと思って読めばなんてことはないただの「おはなし」である。面白かったかというと、ほとんど面白いと思ったところもなかった。「わざと面白くないように書いた」とも言われている本なので、面白いことを期待しても無駄だろう。
私の感想だけど、この本はグルジェフからの「おまえら、本を読める人になれよ」という読者へのメッセージだと思う。
「読書の練習をするための本」ということだ。面白い小説や漫画、強い興味をもっている本なら何冊でも簡単に読めるけど、そういうのばかりだと読書力がつかない。うんざりするような本でも強いて勉めて修行のように読めますか。あなたは「パートクドルグ義務」を果たす能力がありますか、ということ。パートクドルグ義務とはこの本の中で、「意識して苦痛苦悩を伴う努力をすること」で、それは「人間の体内に高次存在体を形成するのに必要な宇宙物質を同化吸収する唯一可能な手段」だとされる。
高次存在体云々は「おはなし」だから真に受けないほうがいいとして、
「読むのが嫌な本でも読もうと思えば読めるようにならないと、おまえらいつまでたっても馬鹿のまんまですよ」っていってるんだろうな。
「進化のためのワークをする」などと言う前に本くらい読めるようになれよ、バーカ!ってこと。
しかし、最初からそう言われていることが見えてしまうと、ちょっとね。
また、中身について少し思ったことを書いておこう。
理系人間の物事の捉え方でグルジェフの思想を理解するとウスペンスキーの「奇跡を求めて」ができるのだろうけど、グルジェフの思想は文系人間の物事の捉え方で接近しないと大きな勘違いに結びつくかもしれんね。グルジェフが「ベルゼバブ」のほうを先に出版し「奇跡」は最低半年は遅らせて出版しろといったのはそういうことだろう。もともとウスペンスキーのような理系的な見方で接近すべきものじゃないのだろう。
ある程度はそれが可能な教えだとしても。
その昔、X氏の暗闇集会の席で、「水素論ってさぁ、おおざっぱな目安にすぎないんでないの。生命の樹と似たようなもので、あんがいいいかげんなんじゃね?」と私が口走ったら、「またそんなこといっとるとですかー!!」と怒りだした人がいた。目安というのをもっと正確にいうと象徴体系だということ。その当時は水素論が象徴体系だという認識に至ってなかったと記憶しているのだが、ばくぜんとそういうものであることが分かりつつあるころだった。