2020年10月27日

ポポー

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 長野の知りあいから「ポポー」というフルーツをいただいた。あまり日持ちしない性質があり、そのためほとんど流通することはないらしい。ポポーを栽培してる農家に知りあいでもいないと手に入れるのは難しいかもしれない。
 アケビくらいの大きさで、香りは梨のようなりんごのような……。皮をむいて食べる。中には柿の種みたいなのがたくさん入っている。クリーミーな味わい。食感はアボカドやバナナに似てるけど、味も香りもまったく違う。類似するフルーツや食品を思いつかない。アメリカではカスタードアップルと呼ばれている、とネットで知った。なるほど、言われてみるとそんな感じもする。カスタードクリームのようなクリーミーな甘さがあって、そこにりんごのような洋梨のような風味と、少しの酸味……などといってもかなりちがうなあ……。
 ポポーを一度も食べたことない人は、こんな説明を読んだところで、まったく味を想像できないだろうけど、味覚にかぎらずどんな経験もまったく知らない経験については、ほとんど知ることができないものだ。
 (これと同じで幽体離脱も経験するまでは、どんなものかなんてほとんどわからないだろう。同じ経験があるもの同士が話せば、「ああ、あれね」とすぐに了解できるが、相手がまったく知らないことは伝達するのが極端に難しくなる。しかし、それを経験するための方法くらいなら教えることができる。)
 私はポポーがとてもおいしいと思ったのだけど、送ってくれた方いわく「10人中3人くらいがおいしいと言う」そうで、実は好きじゃない人のほうが多いことにちょっとびっくり。タネが多くてちょっと食べにくいのが欠点だけど、とてもおいしい。バナナみたいに種無しにできたらいいかもね。ごちそうさまでした!
投稿者: 大澤義孝  | コメント(3)  | 日記

2020年10月15日

それは事業ゴミです

 断捨離を続けていて、あらかた始末はついてきたのだが、その過程でやれやれと思ったことを一つ。DIYでトイレ床のタイルを張り替えたことがあったのよ。そのときセメントをこねる容器が必要でトロ船というプラ製の浅くて平たい四角いバケツをホムセンで買ったのね。大きさは60x40x20センチくらい。「またいつか使うかも」と死蔵して数年。場所塞ぎなだけじゃねーかと、捨てようとしたら粗大ごみ扱い。清掃局に電話して、粗大ごみの申し込みをしてそれで終わりのはずだったけど、事態は思わぬ展開に。
 清掃局の粗大ごみ受付窓口に電話すると、「捨てるものはなんですか」というから「トロ船です」と言ったら「なんですか、それ?」「セメントをこねるときのプラ容器でDIYで使ったんですよ」などと話したのち、自分ちの住所を聞かれてこたえたとたん、担当者いわく「あの、賃貸にお住まいということですよね?それで自室の修繕を行ったと。それは大家さんが捨てるべきもので、大家さんは賃貸事業を営んでいるのだから『事業ゴミ』という扱いになります」。ちゃんと大家とは話がついていることやDIYに至る事情を説明したのだけど、「事業ゴミだから引き取れない」の一点張りで事業ゴミ業者を紹介された。
 しょうがないから、事業ゴミ業者に電話すると、案の定、「どうしてあなたみたいな人がウチに電話してくんの?」と困惑した応答。こういう業者に依頼するのはたとえば、お店を廃業したときいらない粗大ごみをまとめてもっていってもらうとか、PCBや水銀や放射性物質を含んだ危険な装置を捨てるとかで、基本的に個人相手の商売じゃない。なんで電話してみたかというと、どれくらいお金がかかるものか興味があったのね。
 2つの業者に確認したところ、1つ目の業者は3000円といわれた。「トロ船は千円弱で買ったのに、捨てるのに3倍もかかるなんて」と言ったら、「粗大ごみを市が数百円の料金で引き取ってくれるのは、足りない分を税金でまかなっているから」とのこと。なるほどね。2つ目の業者は、「クルマで取りに行くので出張料で5000円プラス捨てる物一点づつ料金が異なる」という回答だった。どちらの業者も、こっちの説明を聞いて「それはそれはお気の毒に……、なんか別の手を考えたほうがいいですよ」という対応だった。
 「へぇー」と理解したあと、私は工具箱から金鋸を取り出し、トロ船を半分にぶった切り普通のゴミの日に捨てた。サイズが半分になったから、もう粗大ゴミでも事業ゴミでもない。(わかってたけど、けっこうしんどい作業だからやりたくなかったの)。ゴミ収集車は普通に持っていってくれた。
 後から思うと、窓口でトロ船とかDIYなんていわずに、「金魚を飼うための水槽として使っていた」とでもいえば、なんの問題もなく粗大ゴミとして処理できたはず。しかし、電話口でとっさの機転を効かせられるかというと難しい。
 清掃局というのは原理主義的なお役所仕事なのだということを改めて認識した。
投稿者: 大澤義孝  | コメント(0)  | 日記