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タロ研時代からのお友達のひありさんが水晶球透視のワークショップをやっていて、今日はおさそいのメールが。方位をみると吉方だったので行ってみた。八白方位。気学で吉方位を使うと、その後も同じ吉方位を使うことが続く。でかける方角・日にちはまちまちでも、その方位にはたまたま八白が回座している。こういうクセがつくらしい。同じ理屈で凶方位を使うとその後も凶方位を踏むクセがつく。不思議だなぁ。
参加者はひありさんも入れて四名。男女同数。水晶球透視にまつわる雑談から始まって、そのあと部屋を暗くしてリラックスのための瞑想誘導をひありさんが行い、そのあとめいめい持ち寄った水晶玉とか、黒い凹面鏡とか、黒曜石の鏡をみつめる。一五分くらい。そのあと休憩。それからまた二〇分ほど見つめる。
複数で鏡をのぞくなんてひさしぶりだなぁ。X氏の研究会では直径数十センチの鏡をみんなでのぞいたりしていたのを思い出し、ちょっとなつかしい気分に。
私は光のつぶつぶや、もやもやした雲がすぐに鏡面に映り始めてなかなかいい調子。鏡の周囲にも明るく光るオーラが見える。
えっと、そのときは忘れていたのだけど、この光ってようはアスラル光ね。見ている人にしか見えない光で、エーテル体の中に反映された<光>だったりする。しかし脳の中を観察しても脳のどこかが光っているわけでもない。心の中にだけ存在する<光>ってのがあるわけ。夢でみる光もそう。目を閉じて眠っているのだから外界の光を拾っているわけではない。夢の中でみる光は毎秒三〇万キロメートルの速度で移動するのだろうか?
でも「それが見えたらなんだってんだ、それっておいしいの?」というツッコミもあるかと思うけど、そういうのがとてもおもしろかった時期というのが私にはある。なぜかわからないけど、涙でるほどなつかしい気分になるのだった。前世記憶のようななつかしさで、幼少期のなつかしさとは別種のものだったりする。
もちろん今でも好きだけど、今はなつかしさではなく、鏡をみているときの静けさが好き。というのは強いて言えばそうってことなんだけど、なにが好きなのか本当のところは自分でもよくわからない。まあ、とにかく無心に黒鏡を見つめる時間はいいなぁと感じるわけ。瞑想が好きと思う人には向いてると思う。
最初はなにが映るのかワクワクして臨むものだし、ヴィジョンが見えたらうれしいもの。肉眼で見るのと同じレベルの鮮明な立体映像が映るのを見れば、とびあがるほど驚くはず。これも幽体離脱と同様、そんな気がしたといったあいまいなものではない。断じて違う。そんでもって時々例外はあるけど、簡単にはできるようにはならない。長い修練がいる。
ひありさんがある日できたーといってきてくれた日はうれしかったな。ほんとにね、めったにいないからね。同じ経験あるもの同士で話が通じるのは楽しい。同胞が生まれるのは楽しい。
ひありさんはいま水晶球透視にノリノリだから、ワークショップに参加してみるといい。燃えてる人のそばにいると、自分にもそれが伝染して水晶球透視ができるようになるよ。私はその点、ういういしさに欠けるので、伝染力はひありさんのほうがずっと高いはず。
まわりにできる人がだーれもいない状況で、こういうことを始める人は少なく、事を成し遂げる人はさらに少ない。万に一つの例外でそれが達成され、それを見習う人が出てくると、ポツリポツリと広がっていく。最初の点火は至難の業、しかしあとから続く人はそれほど苦労しない。
ところで、ひありさんは最近、魔術の本場の(?)ロンドンにいって、スクライイングの人に会ってきたそうなんだけど、その人はそういうビジョンは見たことなくて、イギリスにもホントに見えてる人はいないんだって。バトラーが草葉の陰で泣いてるよ。大丈夫だよバトラー。あなたの熾した火はいま日本にある。
「スーフィの物語」にあるランプ屋の話はこういうことの寓意なの。
2014年06月27日
ひありさんの水晶透視の会に行ってきたよ
投稿者: 大澤義孝
| ダークミラー入門