2014年08月18日

お見舞いに行った

 最近、昔の研究会のメンバーの一人が病に倒れた。比較的軽症で済み不幸中の幸いだった。今日は埼玉までお見舞いに行った。昔のメンバー数名が集まった。みんな60歳前後の人々で私は一まわり下なんだけどね。私は電車で二時間。長野から新幹線でかけつけた人もいた。
 昔話はもうほとんど出なかった。X氏が展開していた物語のことも、X氏に対する複雑な感情もみんな昇華してしまったらしい。それでも目の前に直径三十メートルのアダムスキー型UFOが飛んでいるのを見たりする人もいるんだけど、本人にとってはもうどうでもいいことのようだった。みんなもう神話は不要なの。
 窮地に陥ったとき、最後に多少なりとも支えてくれるのは、お仲間同士のつながりなんだな。それはX氏がいなければできなかったものなんだけど、それはX氏やそこから展開された神話より強固なんだなと思った。本当につらい出来事が人生で起きたとき、自分の信じている神話や思想は自分を助けてくれるだろうか。ちょっとくらいの危機はそういうものでも役に立つけど……。
 みんなで担いだ御神輿。御神輿はやがてハリボテになっちゃうかもしれない。なんにでも寿命はあるからね。しかし担いだ共同体はその後も残る。それは集合的アストラル体ともいえて、それにも寿命はあるけれど、そっちにこそ真価があるのではあるまいか。
 だけど私がもっと歳くったときには、それはもうないかもしれないとおもうと、けっこうつらいものがある。
投稿者: 大澤義孝  | オカルト