ヨガをやってたらまた腰を壊した。去年の年末ごろにも壊したけどこれで二回目。昔の調子で身体を使うのはもうだめみたいだ。トレーニング方法を見直さないとだめっぽい。
今は歩くのも困難なので6日のお茶会は中止。五名の申し込みがあり一人はキャンセルになったけど四人くる予定でした。残念。
いきつけの整体に行けばすぐになおるのに、歩くと痛むので近所の鍼灸治療院にいったんだけど、治療が終わったあと立てなくなった。前より悪化させられた。藪の治療師だった。
痛いからといってよく知りもしない治療院に駆け込むなんて、後からおもえば愚の骨頂だ。熟練技の世界の上手と下手はそれこそ天と地ほどの開きがあるのに、痛みでそのことに気がまわらなかった。
貝原益軒(かいばらえきけん)の養生訓という本を読んでいる。漢方薬酒について調べていくうちに、この本の存在を知った。1713年に日本人によって書かれた健康のハウツー本。「ものを食ったあとすぐに寝るな」とか「この食い合わせは毒だから食べるな」とか日本人なら親やだれかからどこかで聞いたことのあるような、健康のためのTipsがまとめられている。
冬至の前後の期間は養生してセックスもするなというのもあって、現代の感性だと「どうして?」と思うものもあるけど、陰陽五行説でいけば冬至というのは陰の極大の期間だから(陰極まってはじめて陽が射し始める時期でもある)、生命的エネルギーは最低で、気を放出するような行為は自滅行為ということになる。
1713年というと江戸時代中期で、養生訓を読むと当時の庶民の生活スタイルが見えてくるのがおもしろかった。当時の人々は魚だけではなく肉もよく食べていて、鴨や雁や鶴や亀やカワウソまで食べていたらしい。カワウソってどんな味なんだろう。鶴は今だと天然記念物だけど昔は食料だったのね。
風呂は5日から10日一回くらいだった。医術は鍼灸や漢方薬による治療。眼鏡もあって水晶で作られていた。水晶を研磨してレンズを作る技術がすでにあったわけだ。当時は中国が先進国で、日本人の中国萌えもあったこともうかがえる。漢方薬はほとんどが中国からの輸入で高価だった。先進国から届くミラクルパワーを有したありがたーいお薬だったのだ。
「医者にかからないという選択は、中程度の医者にかかるのと同じ」ということが書かれている。病気になったからといって闇雲に医者にかかると、痛い目をみるという忠告。「貧乏人は医者にかかれずに死ぬが、愚かな金持ちは藪医者にかかって殺される」とも。
(本を読んで知識をもっていても、腰が痛いとあわてて鍼灸師にかかって悪化させられるんだけどね。とほほ。)
益軒は医者選びについてもあれこれと注意を書いている。
「有名な先生だから、権力者のところに出入りしている先生だから、といった理由で選ぶと失敗する」。
「親が医者で、才能がない子供に無理に家業をつがせたりする。そういう医者にかかると悲惨」。
この最後のやつ、適性のない息子を医者にした例を、この前もろに見てしまった。健康診断に行っただけなんだけど、対人恐怖症みたいな先生でこっちの顔を見て話ができない、目も合わせることもできない。コンピュータモニターに向かって独り言のように話をする。質問してもまともな答えが返ってこない。周囲の看護師たちからは「この先生、だめなのよねぇ〜」というオーラがぷんぷんただよっているわけ。こんな医者にかかるくらいなら、かからないほうがずっとましに決まっている。
今も大昔もぜんぜんかわっていないんだということに、新鮮な驚きを感じる。西洋医学が主流の現在においても、養生訓はまだまだ使える内容が書かれていると私は信じる。