2015年08月18日

水が変わった日

 「太秦ライムライト」という映画をみた。時代劇の斬られ役一筋で何十年もやってきた役者の物語。時代の流れにつれ時代劇が落ち目になっていき仕事は激減。たまに作られる時代劇も時代考証無視のアニメのようなお話に変質していく。自分が磨いてきた立ち回りの技も、CGにとってかわられてしまう。ちょっと哀しいお話。
 こういう時代劇の変質がいつごろからおきたのか、明確な線引きは難しいのだけど、だいたい90年代のはじめくらいからだろうか。もっと前からだという人もいる。

 ところで、それまであったものが、あるときから変質してしまうということは、時代劇に限ったことではない。
 毎年この時期になると必ず放送される戦争をふり返る映画やドラマね。最近作られたものはなんかみょうに空々しくウソっぷい。時代劇と同様、変質してしまった感がある。戦争当時の雰囲気、社会の前提条件や常識といった世界観が、もはや今のそれとは大きく異なっていて、いくら史実をもとに再現ドラマを作っても、今の作り手の心の中に昔の世界観が不在なので、空々しいものになってしまうのだろう。
 また昔に作られた戦争のドラマや映画を、今の若い人々が見ても受け取り方は昔とは違ってしまっているだろう。「宗教なんて信じるやつはアホ」なんていってる今の若い人々が、天皇教に夢中になってた昔の日本人の行動原理を理解することはかなり難しいだろう。

 戦争を今風に解釈しなおした再現ドラマが作られ、当時のことを知らない観客がそれを見て当時を知ったようなつもりになる。とはいえ昔の時代劇だって、ほんとに戦国時代や江戸時代の様子を正確に再現することなどできるはずもなく、戦後の新しい世界観で解釈されたものを見せられていたにすぎない。
 戦争ドラマも時代劇もファンタジーとほとんど変わらないのに、CGを駆使してリアルに当時の町並みや戦いの様子を見せられたり、史実や証言を元にしているなどと言われると、半分くらい実話みたいなものだと信じてしまい、始末の悪いオカルトみたいな様相を呈し始め、耐性の無い人々は簡単に洗脳されてしまう。

 人々が歴史を振り返るとき、その見ている時代ごとに世界観が異なっていることに注意が必要だ。世界観の違いを色眼鏡と考えてみよう。ときどき色眼鏡は新しい色にかわる。これは季節の移ろいのように、少しずつ変化していくものだが、夏が決して春でもなければ秋でもなく、決定的に違うものとして認識されるものでもあるように、色眼鏡の色もあるとき別の色に交換されるときがくる。新しい色眼鏡で過去の歴史をのぞいたとき、古い色眼鏡でのぞいたときとはまた異なる歴史認識が生じる。

 ところで「スーフィの物語」という本に、「水が変わった日」というお話がある。ある男が聖者から水が変質してしまう日が間近に迫っていることを教えられる。男はその日に備えて水を備蓄する。そして水が変わる日がやって来た。男は蓄えた水を飲み、変質した水を飲まずにすごした。町の人々は変質した井戸や川の水を知らずに飲んでしまう。
 水が変わりどういう変化が起きたかというと、男と町の人々はまったく理解しあえなくなった。男からみれば町の人々は既知外に見えた。町の人々からは男が既知外に見えた。同じ言葉を使えども、考え方やものの見方が変質してしまい、相互理解が不可能になってしまったのだ。

 この物語がなにを意味しているのか、それは読者の想像と解釈にお任せなんだけど、歴史を見る人々の世界観が時とともに変わってしまい、その結果、歴史認識も変わってしまう、ということの寓意のように私には思える。変わってしまった水とは歴史認識や再現ドラマ。ウケがいいようにリメイクされつづける戦争のおはなし。そしてやがて変質してしまう。
 変わる前の水を備蓄した男は、古い記憶を保持し後世に伝えようとする高齢者たち。

 「歴史を忘れてはならない」と言う。それはその通りだし、記録された歴史が書きかわることもそう多くはないだろう。しかしそれをどう理解するかは時とともに変化する。たとえば「過去の過ちに学び戦争は永久に放棄しよう」と長年いいつづけてきても、水がかわれば別のことをいいはじめたりする。

 ところで、キチガイ水を飲まずにやり過ごした男はその後どうなったかというと、最後はあきらめて町の人々と同じ水を飲み、同じ輪の中に帰っていったのだった。水という誰もが依存しているものが変質するとき、それにあらがうことなどできないということらしい。

 時代の変化は人々の世界観の変化でもある。世界観が変化し共通認識という土台が溶けていくと、過去の誓いもあてにはならなくなる。これが人類が戦争をやめられない理由ではなかろうか。未来の子孫のために、津波が来ることを警告する石碑を残したのに、徒労に終わったのもそういうことだ。もっと時がたてば、原爆も繰り返されてしまうのかもしれない。
投稿者: 大澤義孝  | オカルト