2012年06月03日

テレビでオウム事件のドラマみたいなのをみた

 テレビでオウム事件のドラマみたいなのをみた。本格的な作りだけど、急所をはずした、つまらないオチだった。麻原ひとりが悪で、彼のたくみな話術にのせられてみんな洗脳されちゃいましたってオチ。
 ちがうね。ああいうのは全部共犯でさ、教祖も弟子たちも、もちつもたれつなんだよ。みんなで悪いことするの。全員でやったも同然なのに、「麻原は本当はなにを考えていたのか知りたい」なんて答えのない問いだよ。ニューラルネットワークが無数のシナプスの発火でものごとを考えるように、組織全員ひとりひとりが無意識で考えていたんだよ。麻原はせいぜいそれの代弁者だ。だからいくら麻原だけに焦点をあてて探しても答えはないだろうし、かといって組織全員の人々を詳細にしらべることは事実上無理なことだと思う。

 で、それが人の集団というもの。会社だってそうでしょ。合法的に悪いことをするために人は集まるもの。大きな悪もあればささやかな悪もあるし、なんともいえないグレーゾーンもあったりする。で、そういうことに手をそめるからお金ももうかるのよ。
 どんな組織だって法律すれすれのところをはしっていたり、ばれずになんとかしのいでいるものだったりする。とくに大企業とか。原子力村とか。国家とか。
 しかし多くの場合「容認できる範囲」と社会からみなされて(どこでもやってる悪だからね)、なにもないように世間はまわっている。
 だけどその集団が望んだ望まないにかかわらず、社会から切り離れて孤立したらまずいことになる。

 「実録・連合赤軍」という映画をみるとよくわかるけど、人の集団ができて、男の指導者とその相棒の女がいて、その集団が外界と隔離されたときから、恐怖の地獄プロセスが始まって全員狂っていくんだよ。オウムだってその点おなじだったと思う。狂い方は集団によってことなるけど、最後は人柱が何本もたつことになる。

 唯一の回避策は、いちはやく気づいた人が、そうなるまえに相棒の女を命がけで集団の中から消去すること。それ以外、恐怖のプロセスを止める方法はない。それがかなわぬときは、一刻もはやくなりふりかまわずひとりで逃げ出すしか手はない。みなが狂っている中で一人だけシラフを保っているのはものすごく危険な状態だ。
 これは自然なプロセスであって、そういう状況におかれたら、どんな集団も狂いはじめるのは必然だからして、だれも悪くないともいえるし、その集団にかかわった人々すべてに責任があるともいえる。
 後の祭りになったあとで、「勇気がなかった」などという反省の言葉にもあまり意味はない。いくら勇気があっても、逃げ出すのが精一杯なのが普通だろう。一人で何人も何百人もと戦える人などまずいない。
 孤立した集団に、地獄のプロセスを回避できる唯一例外があるとしたら、集団の長が真の重心点をもっているときだけだ。ほとんど可能性はないけど。
投稿者: 大澤義孝  | 哲学