2013年08月31日

象徴思考は統失と似ている

 「象徴哲学大系」というマンリー・P・ホールさんの本があって、昔読んだのを再度読みなおしていた。なにやらすごく難解な印象を受けるタイトルだし事実難解な部類の本だと思うけど、ようは神秘趣味の知識のコレクションなのだな。占星術、錬金術、タロット、古代の宇宙論、カバラ、アトランティス、魔術師の伝説、フリーメーソン、薔薇十字団、パラケルススの医療などなど、すべてが象徴で理解され語られていた古代の学問のダイジェストの列挙。
 「神秘」「秘密」「密儀」といった単語が連発される飾りっ気たっぷりの文体には辟易するけど、まぁそれも味のうち。
 今から数百年前、錬金術や占星術は当時の先端テクノロジーだったわけだけど、そこから時代は進み科学の時代がきて、昔のそれらの考え方は捨て去られていった。今では娯楽として残っているだけだ。
 錬金術も占星術も象徴的に物事を考える。それは簡単にいえば物事間の関連性に意味を見いだす考え方。それに対して科学は因果に基づく考え方。
 前者は現代ではしばしば「関連妄想」だと揶揄される。ネットでよく見かける「フリーメーソンの陰謀」というのも、フリーメーソンと関連があるとされる象徴図形やそれらを盛り込んだ絵画などとの関連性を根拠に展開されるものだったりする。関連性は見つかるが、確かな因果はみつからない。フリーメーソンを名乗る団体は複数あり、一枚岩でもなく、どれが本物か見分けもつかない。蓋をあけてみたらただの社交クラブかもしれないし、神様コスプレクラブかもしれない。
陰謀論者たちはメーソンそのものではなく、メーソンの象徴から関連妄想で膨らまされた物語に夢中になっている。

 錬金術も占星術も、今では心理学やただの占いや懐古趣味の宗教みたいなものに成り果ててしまったわけだけど、ずっと読み通していくうちに、この本に書かれている魔法的処方箋は、案外当時はそれなりに機能していたのではないかと思えたのだった。たとえばパラケルススは寒い満月の晩に、野にガラス板を並べて霜が降りるのを待つ。ガラス板に付着した霜を集めるとそれは水になる。これはただの水ではなくて、惑星の諸力がチャージされた特殊な水で、この水で多くの病人を治したという。
 現代の研究者が薬や様々なテクノロジー開発に真剣であるように、古代の人々とて当時の限界の中で真剣に研究したことには違いあるまい。現代から見れば呪術的なテクノロジーでも、それなりに効力ありとみなされたものもあれば、ないとされたものもあって当然だし、昔の研究者があそびほうけていたわけはない。
 それらの研究成果を彼らは暗号や寓意によって、衆愚には理解できないように世に残したなどというのが定説らしいけど、中にはどう読んでも書いた本人が額面通りひねりなしで、呪術的処方箋を残したとしか思えないものも多い。
 昔はこういう処方箋が普通に機能していた時代があったのではないかと私は思ったのだった。大勢がある種の知識体系を受け入れて信じているなら、それなりに機能するように世界はできているのではないかってことだ。
 最近、トンスルの醸造から試飲まで体当たりでレポートしている動画を見たのだけど、陰陽五行説に基づいた東洋医学の体系では、大きな薬効があるとされる。西洋医学を知らず、国民全員で東洋医学を信じている社会では、効き目も変わってくるのではなかろうか。(私は飲みたくないけどね)。
 古代のテクノロジーは時代遅れになって、信じる人も少なくなった。だから効き目も薄れてしまった。つまり魔法が現代では(ほとんど)効かない時代になった。これはその昔に起きた、アセンションみたいなものではなかろうか。とても広範囲に及ぶ規模で、人々の考え方が変わってしまう時期というものがあったということ。
 昨今、アセンションが来るって話があったけど、今の科学というのもそのうち古くさいものに変わっていく可能性もありそうな話だったりする。科学に変容が起きるとは限らず、別の分野かもしれないけど。
 象徴思考の時代は長くつづいた。古代ギリシアの時代から18世紀くらいまではそうだった。ついでにいうと、象徴思考は行きすぎると現代では統合失調症(精神分裂病)と呼ばれる。なんにでも関連があるように思えてきて、強固な妄想にとらわれ、幻聴や幻覚が多発する。ところが18世紀以前は統合失調症の記録が見つからないという。万人が統失患者と同じ、関連に基づく発想法をしていたのかもしれない。そういう社会なら統失は病気とは言われないだろう。そして現代から見ればまともなこと(地球が太陽のまわりを回っていると)を言ったガリレオは異端認定されひどい目にあわされた。
 彼は望遠鏡を用意し、王侯貴族たちに披露した。遠くの景色を近くに引き寄せてみせるすばらしい道具だ。貴族たちはみな「すげー!」と言った。そして夜になってやっと本番。ガリレオは望遠鏡を月に向けて、貴族たちに見せた。そこには穴ぼこだらけの月の姿が映った。当時は月というのは神が作りたもうたもので、ツルツルのピカピカの玉だと信じられていた。「どうよ?」とドヤ顔のガリレオ。そしたら偉い人々は「あー、足下のこさえたこの望遠鏡というものは、近くの景色を見るのには有効だが、遠くのものに対しては真実の姿を映せないようじゃな」といって誰もあばた顔の月の姿を信じてくれなかった。
 彼らは妄想を強固に信じている統失者とたいして変わらない。統失の妄想を解除するためのあらゆる説得は無意味と言われる。ガリレオが証拠をつきつけても無駄だった。
 統失というのは社会的な病気とも言われ、それを受容できる社会においては、病気認定はされず、むしろシャーマンや巫女や予言者のような地位を与えられたりもする。デルフォイの神託所なんてのが現代にあったら、そこにいる巫女は立派な統失かもしれない。国民全員が統失なら、統失患者はその国には一人もいない。ようは住む世界の位相の違いで、病気といわれたり、普通といわれたりするようなところがある。
 ところで象徴思考の時代が二千年以上続いて、18世紀あたりから切り替わりはじめて、たった三百年でもう次のアセンションというのは早すぎるような気はする。短周期で起きる小さなアセンションというのがあるのかもしれないけど、どのみち変化は百年くらいかけて起きるものだから、その渦中にいていち早くその変化を感知するのはごく少数だろう。
投稿者: 大澤義孝  | オカルト