2012年05月05日

二つあることに気づくから離脱する

> 通信講座を受けるようになってから、毎晩のように夢を見ます。
> 昨日の夢は変わった夢でした。
> なぜなら普通、夢では体の感覚がありません。
> 夢の中で、ある人にポコポコと叩かれたのですが、
> ちゃんと感覚があったのです。
> 叩かれた感覚が自分の体に伝わって来ました。
> とても興味深い夢です。
> これはどういうことでしょうか。

痛みなど身体感覚は現実感と深い関係があるようです。
それがあるから生きてる実感がわくといいますか。
それがなければどこか夢のように遠いこと、リアリティのない空疎なものに見えてしまいます。
幽体離脱では身体感覚がかなり濃厚にあるものです。

肉体をたたかれたわけではないのに、夢の中でたたかれる感覚が生じたわけですが、幽体の感覚に気づきつつあるのです。幽体の存在に気づきはじめたともいえます。
幽体はもっていたのですが、これまでは肉体とくっついていて、違いに気づかなかったということです。訓練の成果は出ていると思います。

ご自分の意識の中で幽体と肉体という二つの区別が心底つくから、「幽体」離脱もありえるものとなるわけです。ひとつしかないものが、そこから離脱するなどありえないのです。

離脱できる日が近づいているということではないでしょうか。
投稿者: 大澤義孝  | 幽体離脱入門

2012年01月09日

7日のワークショップの補足

 7日の講座で「本に出ているX氏は○○さんのことですか」という質問があり返答しなかったけど、それについて少し補足しておきます。
 私がX氏の研究会にかかわっていた時期、X氏は師弟関係というものを否定していたのね。導師と弟子という役者像にはまって、たがいにそれを演じることに耽溺する関係は悪しき習慣とみなしていた。目覚めだの解脱だのの修行といいながら、結局その型を演じるだけのパターンにはまり、ますます深い眠りに落ちていくんだと。
 「偉い先生の弟子です」というと、それだけで人が集まり分派や支部を作っていく。やがて大企業のように人を歯車にする機械的組織ができあがってしまう。
 確かにその中で暮らしていると信者や弟子は楽だったりする。名の通った看板もある。世間体も悪くない。教えも定式化されて、そのとおり教えて/教わっていけばいい。でも、それってただの機械的運動。自発的に考えることをしなくなる。参加者を型にはめて、型通りに演じる模倣機械にしてしまう。
 機械はやがて時代に合わなくなり、機械としての硬直性から崩壊をはじめ、信者もろとも自壊していく。ただしそういうやり方をしないかぎり、大きな組織は多分作れない。
 そんなわけで私がX氏の名前を出して虎の威を借り、師弟ごっこをすることを、彼は少なくとも私に対しては望まないだろうと思えるので名前は伏せています。私がおぼえているX氏はそういう人だったので。

 しかし、当時はそういうスタンスだったというだけで、今はどうなってるかしらない。昔はクローズドな集まりだったけど、今は学校を作ろうとしているという話も耳にした。そういうことを始めると昔のようにはいかない。組織というのはちょっと大きくなると、免状だしたり階級作ったりしないとうまく回らなくなるもの。
 そのフェイズには私はまったく関わっていないので、今の状況における常識を、今のX氏の生徒さんたちがこちらにあてはめようとしても、うまくかみ合わないかもしれない。
投稿者: 大澤義孝  | 幽体離脱入門

2011年10月18日

幽体離脱 実践ワークショップ

またやります。
くわしくはここをご覧ください。
http://www.naturalspirit.co.jp/workshop/osawa-yoshitaka/osawa-yoshitaka2012.1.html
投稿者: 大澤義孝  | 幽体離脱入門