場所は横浜近郊の区民センターにて。時間は1時から3時まで。参加費は500円です。
参加ご希望の方はメールください。
シンボル解釈による未来予想に挑戦するのが目的です。タロットや占星術、サイコロ、どんな予想法を使ってもかまわないけど、ご自分が使う道具は持参してください。私は主にタロットを使います。
みんなで集まって楽しみながら透視力、直感力を磨きより精度の高い透視手法の確立をめざしましょう。
競馬がはじめての人でもこまらないように、競馬のルールや馬券の買い方も説明します。初心者大歓迎。
予想に自信があるときは馬券を買うもよし、自信がなければ観戦するだけでもよしです。
競馬は毎週土日に開催されます。土曜日の透視の会では次の日の日曜日のレースを参加者全員で予想します。次の日にはテレビやJRAのサイトで、レースの様子と結果がわかります。
2015年03月12日
2015年03月10日
3月21日土曜日に、競馬透視の会を開きます
3月の21日土曜日に、競馬透視の会を開きます。タロット(その他、水晶、占星術、サイコロ等)を使って、日曜日の競馬レースを予想します。予想して次の日になれば当てたか外したかはっきりします。
競馬は約16頭の馬が走りますが、その中にかならず1着になる馬はいて、1着を当てれば賭け金は2倍から数倍程度になります。確率は16分の1です。宝くじの当選確率は十万分の一なので、それよりはずっと当たる率は高いです。
「競馬なんてやったことがない、ルールも知らない」という人でも大丈夫。ちゃんと説明しますし、ルールは簡単です。馬券は百円から買えますが、買う買わないは各自の自由です。競馬を予想して当てることにチャレンジする遊びです。
まだ詳細は決まっていないのですが、今週中には発表します。
-----------------------
たばをやめてからやたらと食欲旺盛になって、ついついグルメに走ってしまう。くさやにはまったのは前に書いたけど(今でもはまってるんだけど)、今日は油麩というものをスーパーで見つけた。細長いお麩を油で揚げて、直径3センチ厚さ1センチ程度の輪切りにしたもの。見た目は揚げたパンの輪切り。生まれてはじめて食べる食材。
これをカツ丼のタレような甘からい出汁で煮て、たまごでとじてごはんの上にのせる油麩丼のレシピが袋に書かれていたので作ってみた。なめらかでふわふわで、それでいて腰のある食感。揚げてあるせいか、カツ丼の衣を食べているようなこくがあってとてもおいしい。しかも食べ応えがあっておなかもふとる。すぐにおなかがすくかもと思ったけどそうでもない。かなり腹もちがいい。
油麩丼には卵が入っているから、ベジタリアンの食事といえるかどうかは微妙だけど、なかなかヘルシーでよい食材ではなかろうか。
競馬は約16頭の馬が走りますが、その中にかならず1着になる馬はいて、1着を当てれば賭け金は2倍から数倍程度になります。確率は16分の1です。宝くじの当選確率は十万分の一なので、それよりはずっと当たる率は高いです。
「競馬なんてやったことがない、ルールも知らない」という人でも大丈夫。ちゃんと説明しますし、ルールは簡単です。馬券は百円から買えますが、買う買わないは各自の自由です。競馬を予想して当てることにチャレンジする遊びです。
まだ詳細は決まっていないのですが、今週中には発表します。
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たばをやめてからやたらと食欲旺盛になって、ついついグルメに走ってしまう。くさやにはまったのは前に書いたけど(今でもはまってるんだけど)、今日は油麩というものをスーパーで見つけた。細長いお麩を油で揚げて、直径3センチ厚さ1センチ程度の輪切りにしたもの。見た目は揚げたパンの輪切り。生まれてはじめて食べる食材。
これをカツ丼のタレような甘からい出汁で煮て、たまごでとじてごはんの上にのせる油麩丼のレシピが袋に書かれていたので作ってみた。なめらかでふわふわで、それでいて腰のある食感。揚げてあるせいか、カツ丼の衣を食べているようなこくがあってとてもおいしい。しかも食べ応えがあっておなかもふとる。すぐにおなかがすくかもと思ったけどそうでもない。かなり腹もちがいい。
油麩丼には卵が入っているから、ベジタリアンの食事といえるかどうかは微妙だけど、なかなかヘルシーでよい食材ではなかろうか。
投稿者: 大澤義孝
| ギャンブル
2015年01月31日
馬券偽造師という本
『「馬券偽造師」中山兼治/著 幻冬舎』という本を読んだ。偽造師本人が書いたノンフィクション。
このところ競馬関係の本を乱読している。もう三十冊くらい読んだ。「どうすれば競馬で勝てるか」をテーマにしたものは、競馬本の中でもっともたくさん出版されていそうなテーマだけど、著者の眠たい思考力、情報整理能力の欠如が伝わってくるものが大半で、そうでなければ常識的な当たり障りのないことをもっともらしく述べているだけだったりする。これはいいといえるような本はまだ知らない。またそんな方法があったとしても、それが本になり周知されるようになると、自動的にその方法では儲けられなくなってしまうのが競馬ルールのエレガントなところだったりする。
ところがこの馬券偽造師の手口は、ハズレ馬券を改ざんして万馬券にしてしまう。専門技術があればこそだが、必ず儲かる方法だ。w
馬券のインクをカッターナイフで精密に削り取り、製図用色鉛筆で精密に書き換える。30倍のルーペを使い目視で1ミリの間隔の中に64個のドットを打ち、数字一文字を数千ドットの点で表現する。すべて手作業で一日二枚製造。十年間に渡り十億以上不正に換金したという。
ただしこの偽造テクは昭和50年代ごろ、まだ磁気カード化されていないときの話なので、今となっては同じ手は通用しない。
不正を働く者とJRAの攻防戦が、見えないところで繰り広げられていることや、券売機ごと盗み出した犯罪グループがいたことなど、興味深い内容。
著者は最後はお縄になって取り調べ、裁判、服役。でもその過程もまたおもしろい。本人が自白して罪を認めているのに、JRAはあまり本気で調査しないとか、刑務所では馬券偽造の技術=レタリングの技術で特別待遇されてしまうとか。
眠たい競馬本のばかりの中で、パッと目が覚めるようにおもしろい本で、むさぼるように一気読みしてしまった。
で、最後におまけでええっと驚いたのが、この本、最初に出版されたときは(幽体離脱入門の)アールズ出版から出ていたことだった。(なんで幻冬舎から出てるのかな?)
このところ競馬関係の本を乱読している。もう三十冊くらい読んだ。「どうすれば競馬で勝てるか」をテーマにしたものは、競馬本の中でもっともたくさん出版されていそうなテーマだけど、著者の眠たい思考力、情報整理能力の欠如が伝わってくるものが大半で、そうでなければ常識的な当たり障りのないことをもっともらしく述べているだけだったりする。これはいいといえるような本はまだ知らない。またそんな方法があったとしても、それが本になり周知されるようになると、自動的にその方法では儲けられなくなってしまうのが競馬ルールのエレガントなところだったりする。
ところがこの馬券偽造師の手口は、ハズレ馬券を改ざんして万馬券にしてしまう。専門技術があればこそだが、必ず儲かる方法だ。w
馬券のインクをカッターナイフで精密に削り取り、製図用色鉛筆で精密に書き換える。30倍のルーペを使い目視で1ミリの間隔の中に64個のドットを打ち、数字一文字を数千ドットの点で表現する。すべて手作業で一日二枚製造。十年間に渡り十億以上不正に換金したという。
ただしこの偽造テクは昭和50年代ごろ、まだ磁気カード化されていないときの話なので、今となっては同じ手は通用しない。
不正を働く者とJRAの攻防戦が、見えないところで繰り広げられていることや、券売機ごと盗み出した犯罪グループがいたことなど、興味深い内容。
著者は最後はお縄になって取り調べ、裁判、服役。でもその過程もまたおもしろい。本人が自白して罪を認めているのに、JRAはあまり本気で調査しないとか、刑務所では馬券偽造の技術=レタリングの技術で特別待遇されてしまうとか。
眠たい競馬本のばかりの中で、パッと目が覚めるようにおもしろい本で、むさぼるように一気読みしてしまった。
で、最後におまけでええっと驚いたのが、この本、最初に出版されたときは(幽体離脱入門の)アールズ出版から出ていたことだった。(なんで幻冬舎から出てるのかな?)
投稿者: 大澤義孝
| ギャンブル
2015年01月06日
競馬の薬効
競馬をやってみてある種の薬効があることが分かってきた。長い目でみれば大半の人が損をするようにできているギャンブルを、なぜ人はするのかってのが謎だったんだけど、ちょっとだけ分かった気がする。
まず買った馬券の馬が走っている間、その馬が入賞してくれることを本気で願う。だれかの歌にあったように(中島みゆきさんだったかな?)、『宝くじを買うときは「当たるわけがない」と言いながら買う』こともできるけど、競馬の場合はそれは難しい。一回や二回はともかく、何度もレースに賭ければどんなにマイナス思考の人も本気でその馬が勝つことを願う。宝くじとちがって勝ってもささやかなものかもしれないけど、それでも本気で希望を持とうとする。そういう心理的な姿勢を、競馬は本人の意思で自発的に行わざるを得ない状況にもっていくのがポイント。それが心に効く薬効果を発揮する。賭け金の大小はあまり関係ないかもしれない。
世の中でポジティブシンキングが盛んに宣伝され、マイナス思考はダサイとレッテルを貼られ、無理矢理ポジティブを演じようとしても、無理なものは無理でしょ。素直に認めたほうがいいと思うのよ(笑)。
ポジティブな思考を形なりにすることはできるけど、それをしたからといってポジティブ感情が出てくることはない。本心は絶望しているのに無理やりポジティブに振る舞ったところで効かない。無理にやってる人をみると、変な宗教にはまっているような痛々さを感じてしまうものだ。そういうのはそのうちボキッと折れる。
希望とか射幸心という感情を人工的に作り出す仕組みがギャンブルなんだけど、自然にわき出してくる希望であれ、人工的に作り出される希望であれ、実は同じ薬効をもっている。天然の生薬か、それとも化学的に合成されたほぼ同じ成分の薬かぐらいの違いなんだけど、希望が枯渇している人にはちゃんと効き目を発揮する。
天然の希望は長く持続するかもしれないし、しないかもしれない。それは運と努力次第。人工の希望はあまり長くは続かないだろうけど、それでも数日は持続するものだし、もっともっと続きうるという伝説を打ち立てた人もいる。絶望の病に侵されて希望という脳内麻薬が枯渇している人になら特効薬。
次に競馬は「運」というものについて考えさせてくれる。どの馬が来るか、推理することでわかる部分と、そうではない部分がある。それでもどれかを選ばないと馬券は買えない。考え抜いた決断がはずれ、一瞬のひらめきで選んだ馬が来たり、またそれらの反対もある。霊感というのもありうるものだけど、そういうのは毎回は続かないものだ。地に足のついた科学的な考え方が正しいこともある。こと未来予想においては、どのような接近の仕方であれ決定打はないものだし、それらはまったく無力というわけでもない。正確に未来を知ることができないのは宇宙法則だ。そこに無理を無理して通そうとする宇宙と人間の戦いがあり、勝つこともあれば負けることもあるが、勝ちも負けも一方だけが永遠には続かないようにできている。
自分の想像する自分の未来は、その通りにおとずれるものだろうか。ある程度当たり、ある程度はずれているものだ。思考は、前提として与えられた情報や知識や条件に基づいて結論を出そうとする機械ともいえる。自分の未来を想像するとき、それを行う思考機能には未来を知るのに必要なすべての情報が漏れなく与えられているだろうか。そんなこたあない。考えて(思考して)煮詰まるのは、それはそのような結論しか出ない情報しか知らなかったからだ。未知や不可知の領分というのが残されているもので、それは大きさも量もまったくわからない代物だったりする。まだまだ絶望することはない。思考が敗北した先にもまだ希望は残っている。
次にギャンブルはお金にたいする執着を軽くする。ぱっと消えたと思うと、ぱっと入ってくる。そしてまたぱっと消える。こんなものかと思う。もちろんこういう金銭感覚に塗りつぶされてしまうと問題があるけれど、お金にあまりに大きすぎる価値を投影してしまうのもよくない。心理的にそれに縛られすぎてしまうから。
お金はその利得と制約ともにとても大きな現実をつきつけてくるものだけど、心はそれに対して自由になろうと思えばなれる。ただし「完全に」とまでいってるわけではないよ。でも少しはあるんだよ。そしてその少しの余裕が大事なの。
余裕があるかないかは、もってるお金の量には関係がない。お金がありあまるほどたくさんあるのは、お金に余裕があるというだけのことで、お金への執着から離れる心の余裕があることとは関係ないわけ。その余裕があると、人はもっとやさしくなれるはず。
競馬やギャンブル全般は絶望に効く薬だったんだよ。
薬である以上、副作用や中毒についても理解しておく必要があるけどね。
まず買った馬券の馬が走っている間、その馬が入賞してくれることを本気で願う。だれかの歌にあったように(中島みゆきさんだったかな?)、『宝くじを買うときは「当たるわけがない」と言いながら買う』こともできるけど、競馬の場合はそれは難しい。一回や二回はともかく、何度もレースに賭ければどんなにマイナス思考の人も本気でその馬が勝つことを願う。宝くじとちがって勝ってもささやかなものかもしれないけど、それでも本気で希望を持とうとする。そういう心理的な姿勢を、競馬は本人の意思で自発的に行わざるを得ない状況にもっていくのがポイント。それが心に効く薬効果を発揮する。賭け金の大小はあまり関係ないかもしれない。
世の中でポジティブシンキングが盛んに宣伝され、マイナス思考はダサイとレッテルを貼られ、無理矢理ポジティブを演じようとしても、無理なものは無理でしょ。素直に認めたほうがいいと思うのよ(笑)。
ポジティブな思考を形なりにすることはできるけど、それをしたからといってポジティブ感情が出てくることはない。本心は絶望しているのに無理やりポジティブに振る舞ったところで効かない。無理にやってる人をみると、変な宗教にはまっているような痛々さを感じてしまうものだ。そういうのはそのうちボキッと折れる。
希望とか射幸心という感情を人工的に作り出す仕組みがギャンブルなんだけど、自然にわき出してくる希望であれ、人工的に作り出される希望であれ、実は同じ薬効をもっている。天然の生薬か、それとも化学的に合成されたほぼ同じ成分の薬かぐらいの違いなんだけど、希望が枯渇している人にはちゃんと効き目を発揮する。
天然の希望は長く持続するかもしれないし、しないかもしれない。それは運と努力次第。人工の希望はあまり長くは続かないだろうけど、それでも数日は持続するものだし、もっともっと続きうるという伝説を打ち立てた人もいる。絶望の病に侵されて希望という脳内麻薬が枯渇している人になら特効薬。
次に競馬は「運」というものについて考えさせてくれる。どの馬が来るか、推理することでわかる部分と、そうではない部分がある。それでもどれかを選ばないと馬券は買えない。考え抜いた決断がはずれ、一瞬のひらめきで選んだ馬が来たり、またそれらの反対もある。霊感というのもありうるものだけど、そういうのは毎回は続かないものだ。地に足のついた科学的な考え方が正しいこともある。こと未来予想においては、どのような接近の仕方であれ決定打はないものだし、それらはまったく無力というわけでもない。正確に未来を知ることができないのは宇宙法則だ。そこに無理を無理して通そうとする宇宙と人間の戦いがあり、勝つこともあれば負けることもあるが、勝ちも負けも一方だけが永遠には続かないようにできている。
自分の想像する自分の未来は、その通りにおとずれるものだろうか。ある程度当たり、ある程度はずれているものだ。思考は、前提として与えられた情報や知識や条件に基づいて結論を出そうとする機械ともいえる。自分の未来を想像するとき、それを行う思考機能には未来を知るのに必要なすべての情報が漏れなく与えられているだろうか。そんなこたあない。考えて(思考して)煮詰まるのは、それはそのような結論しか出ない情報しか知らなかったからだ。未知や不可知の領分というのが残されているもので、それは大きさも量もまったくわからない代物だったりする。まだまだ絶望することはない。思考が敗北した先にもまだ希望は残っている。
次にギャンブルはお金にたいする執着を軽くする。ぱっと消えたと思うと、ぱっと入ってくる。そしてまたぱっと消える。こんなものかと思う。もちろんこういう金銭感覚に塗りつぶされてしまうと問題があるけれど、お金にあまりに大きすぎる価値を投影してしまうのもよくない。心理的にそれに縛られすぎてしまうから。
お金はその利得と制約ともにとても大きな現実をつきつけてくるものだけど、心はそれに対して自由になろうと思えばなれる。ただし「完全に」とまでいってるわけではないよ。でも少しはあるんだよ。そしてその少しの余裕が大事なの。
余裕があるかないかは、もってるお金の量には関係がない。お金がありあまるほどたくさんあるのは、お金に余裕があるというだけのことで、お金への執着から離れる心の余裕があることとは関係ないわけ。その余裕があると、人はもっとやさしくなれるはず。
競馬やギャンブル全般は絶望に効く薬だったんだよ。
薬である以上、副作用や中毒についても理解しておく必要があるけどね。
投稿者: 大澤義孝
| ギャンブル
2014年12月30日
競馬はおやじの占いだったんだ
古い私の盟友がずいぶん前だけど「ばくちもやってみるもんだ」といってたのね。それに対して私は「あんなの絶対勝てないのはロジカリーコレクトじゃん。バカバカしい」と相手にしなかった。だけども最近、ちょっと興味がわいて競馬なるものを学習してみた。有馬記念もあったしね。
最初はどの馬が勝ちそうなのか、どういう賭け方が効果的なのかもなにもわからない。占星術はどうだろうと馬の生年月日を調べると、だいたいどの馬も春ごろに生まれるので誕生日はにたりよったり。そんじゃあ騎手の生まれはなどとやってみたというか、やってみようとしたんだけど1レースに走る馬は16頭くらいはいるので面倒でやる気がしない。まじめに鑑定してたら、レースの日がすぎてしまう。
気学を使ってみたら一度当たったけど、これはまぐれだろう。
じゃあ幽体離脱で未来に行けるかやってみたら、馬が出てきたので乗せてもらったりしたんだけど、それで勝つ馬がわかるわけもなく、パドックを歩いているそれに似た馬を選んだらなぜか当たった。でもこれもまぐれかもしれない。
こんどは夢判断で、レース当日に見た夢からシンボル解読して選んだ馬は来ず、あとから読み方を間違えていた、これは別の馬の象意だったんだ、などと考えはじめたところで、関連妄想だと気づいて切り捨てた。後からはなんとでもいえるからね。
やっぱり基本に忠実にと、競馬新聞の馬柱(うまばしら)の読み方からお勉強。馬柱というのは、ひとつのレースに出る各馬のこれまでの戦績や、走破タイム(馬の速度みたいなもの)、その他もろもろがびっしりと書き込まれた一覧表。1頭分の情報が縦に細長い枠に収められていて、それがレースに出場する馬の頭数分横に並んでいる。(最近は競馬新聞よりネットでもっと見やすい情報提供がされているサイトがいくつかある)。
これをみてオヤジたちはどの馬が勝つか推理する。過去のレースで連戦連勝している馬は今回も勝つかもしれない。連敗つづきだけど今回のレース馬の中では速度はダントツだからこれが勝つかもしれない。いや、でもこの騎手は今まで50連敗中だから、だめなやつが乗るとやっぱりだめかもしれない。いやいやしかし馬のほうは今回の競馬場ではほとんど勝っているじゃないか、騎手は関係ないか……などとあーでもないこーでもないと推理的妄想を膨らませ予想して馬券を買う。
馬柱をもとに推理すると、十数頭いる馬のうち半分くらいには有力候補をしぼりこめると思う。
もっともっと深読みすれば6頭くらいまで絞り込めるだろう。しかし配当金が出るのは3着までなので、6頭になったところでまだまだハズレになる可能性は高い。だいたいしぼりこんだ中に、入賞する3頭すべてが含まれている保証はない。
私が馬柱から推理するとオッズの人気順位とだいたい同じような結論に至る。頭で考えて出る結論は誰しも似たようなものってことかもしれない。んじゃあ1番人気の馬を買えば当たるかというと、そんなうまい話はなくて、オッズの人気はしばしばはずれる。民主主義の限界を納得させてくれる(笑)。それから1番人気の馬を買ってもオッズが低くてちっともうまみがない。(詳細ははしょるけど競馬のルールは実にエレガントによくできている。さすが世界最初の保険会社を作ったイギリス発祥のゲームだけのことはある)。
6頭から先はもうなんともいえない。だって馬が全力疾走して(しない馬もいたりする)、ゴールの瞬間、鼻の先の差で1着と2着が決まったりするのだから、それはパラメターの予想やパドックで馬を見ただけでどうこうなる問題じゃないわけ。馬も騎手も生き物だから、今日はやる気しないとか、雨の日は嫌だとか、寒いのは嫌いとか、発情中とか気まぐれ要素もあったりする。騎手が落馬することもある。
最後は直感みたいなものが大事になってくるように思うのだけど、馬柱を読むことも大切で、推理的妄想である程度しぼりこんだところでひらめくってこともあるらしい。そんで思ったんだけど、それって占星術とにている。妄想かき立ててひらめく瞬間をまっている。そんなことを思いながら馬柱を眺めると、それは枠線で仕切られているし馬番号がふられているし、これってホロスコープに似てるなぁと思い始めたら、もうホロスコープにしか見えない。
そんでもって自分で馬柱を読めない人、読めても自分では決断できない人には、予想屋(占い師)なる連中がたくさんいて、当たる予想とやらを売っていたりする。競馬新聞にも予想は載っていて、これは占い雑誌のようなもの。その託宣を信じて買ってみて「なんだよ、これちっともあたんねぇじゃないか!」どと呪詛の言葉をはいたあと、また次の週には競馬新聞を買う。おなじだよ、占いと。
馬柱は競馬のホロスコープ、競馬はオヤジの占いゲームだったんだよ!
最初はどの馬が勝ちそうなのか、どういう賭け方が効果的なのかもなにもわからない。占星術はどうだろうと馬の生年月日を調べると、だいたいどの馬も春ごろに生まれるので誕生日はにたりよったり。そんじゃあ騎手の生まれはなどとやってみたというか、やってみようとしたんだけど1レースに走る馬は16頭くらいはいるので面倒でやる気がしない。まじめに鑑定してたら、レースの日がすぎてしまう。
気学を使ってみたら一度当たったけど、これはまぐれだろう。
じゃあ幽体離脱で未来に行けるかやってみたら、馬が出てきたので乗せてもらったりしたんだけど、それで勝つ馬がわかるわけもなく、パドックを歩いているそれに似た馬を選んだらなぜか当たった。でもこれもまぐれかもしれない。
こんどは夢判断で、レース当日に見た夢からシンボル解読して選んだ馬は来ず、あとから読み方を間違えていた、これは別の馬の象意だったんだ、などと考えはじめたところで、関連妄想だと気づいて切り捨てた。後からはなんとでもいえるからね。
やっぱり基本に忠実にと、競馬新聞の馬柱(うまばしら)の読み方からお勉強。馬柱というのは、ひとつのレースに出る各馬のこれまでの戦績や、走破タイム(馬の速度みたいなもの)、その他もろもろがびっしりと書き込まれた一覧表。1頭分の情報が縦に細長い枠に収められていて、それがレースに出場する馬の頭数分横に並んでいる。(最近は競馬新聞よりネットでもっと見やすい情報提供がされているサイトがいくつかある)。
これをみてオヤジたちはどの馬が勝つか推理する。過去のレースで連戦連勝している馬は今回も勝つかもしれない。連敗つづきだけど今回のレース馬の中では速度はダントツだからこれが勝つかもしれない。いや、でもこの騎手は今まで50連敗中だから、だめなやつが乗るとやっぱりだめかもしれない。いやいやしかし馬のほうは今回の競馬場ではほとんど勝っているじゃないか、騎手は関係ないか……などとあーでもないこーでもないと推理的妄想を膨らませ予想して馬券を買う。
馬柱をもとに推理すると、十数頭いる馬のうち半分くらいには有力候補をしぼりこめると思う。
もっともっと深読みすれば6頭くらいまで絞り込めるだろう。しかし配当金が出るのは3着までなので、6頭になったところでまだまだハズレになる可能性は高い。だいたいしぼりこんだ中に、入賞する3頭すべてが含まれている保証はない。
私が馬柱から推理するとオッズの人気順位とだいたい同じような結論に至る。頭で考えて出る結論は誰しも似たようなものってことかもしれない。んじゃあ1番人気の馬を買えば当たるかというと、そんなうまい話はなくて、オッズの人気はしばしばはずれる。民主主義の限界を納得させてくれる(笑)。それから1番人気の馬を買ってもオッズが低くてちっともうまみがない。(詳細ははしょるけど競馬のルールは実にエレガントによくできている。さすが世界最初の保険会社を作ったイギリス発祥のゲームだけのことはある)。
6頭から先はもうなんともいえない。だって馬が全力疾走して(しない馬もいたりする)、ゴールの瞬間、鼻の先の差で1着と2着が決まったりするのだから、それはパラメターの予想やパドックで馬を見ただけでどうこうなる問題じゃないわけ。馬も騎手も生き物だから、今日はやる気しないとか、雨の日は嫌だとか、寒いのは嫌いとか、発情中とか気まぐれ要素もあったりする。騎手が落馬することもある。
最後は直感みたいなものが大事になってくるように思うのだけど、馬柱を読むことも大切で、推理的妄想である程度しぼりこんだところでひらめくってこともあるらしい。そんで思ったんだけど、それって占星術とにている。妄想かき立ててひらめく瞬間をまっている。そんなことを思いながら馬柱を眺めると、それは枠線で仕切られているし馬番号がふられているし、これってホロスコープに似てるなぁと思い始めたら、もうホロスコープにしか見えない。
そんでもって自分で馬柱を読めない人、読めても自分では決断できない人には、予想屋(占い師)なる連中がたくさんいて、当たる予想とやらを売っていたりする。競馬新聞にも予想は載っていて、これは占い雑誌のようなもの。その託宣を信じて買ってみて「なんだよ、これちっともあたんねぇじゃないか!」どと呪詛の言葉をはいたあと、また次の週には競馬新聞を買う。おなじだよ、占いと。
馬柱は競馬のホロスコープ、競馬はオヤジの占いゲームだったんだよ!
投稿者: 大澤義孝
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